序章 Road to Waterman

~海を愛し、海に愛される男、ウォーターマン~

◆ウォーターマンとの「出会い」

「ウォーターマン」──僕にその言葉を教えてくれたのは、ジェイク水野だった。

ジェイクはハワイ在住の日系人で、ハワイのサーフィン界・アウトリガーカヌー界で多くの人の尊敬を集めている。

アウトリガーカヌー【写真】とは「浮き」を付けて艇のバランスを取ったカヌーのことで、チームスポーツとしてハワイやアメリカ、環太平洋地域で盛んになっている。

一九九八年五月。その年、ライフセービング世界選手権で六位になった僕は、「モロカイ・チャレンジ」に挑戦していた。

モロカイ・チャレンジとは、ハワイのモロカイ島~オアフ島間約三二マイル(五〇キロメートル)を、一人乗りオーシャンカヤックやアウトリガーカヌーを使って漕いで渡る過酷なレースだ。

それまで、体格的に劣る日本人には無理だと言われていたレースだが、無理だと言われると、僕はますますその気になった。そして大方の予想を裏切り、僕は初挑戦で見事完漕を果たした(タイム4時間37分37位)。

そのゴールで僕に声をかけてきてくれたのがジェイクだった。

「お前、日本人か?」

「はい」

「何でこのレースに出た?」

「強くなりたいのです」

 ジェイクは僕の答えを聞くと、ニヤリと笑ってその場を去って行った。

翌年も僕はモロカイ・チャレンジに参戦。タイムは4時間30分で25位。その時、ジェイクと再会する。レース終了後、ジェイクは僕を食事に誘ってくれた。

「たしかお前、強くなりたいって言ってたよな。で、どんなふうに強くなりたいんだ?」

「そうですね‥‥ディーン・ガーディナーとか」

ディーンはモロカイの記録保持者だ。

「強くなりたいんですよ。日本人にはモロカイは無理だって馬鹿にされてますから」

「そうか。お前の言ってた強さとはそういうことか‥‥。でもハワイアンにとっての強さっていうのは、お前が言ってる強さとは全然違うぞ。ハワイでは競技のチャンピオンのことを“強い”とは言わない。競技者として優れているかもしれないけどな、人間としての強さは別だ。強いというのは、たとえばこういうやつをいうんだ」

そう言ってジェイクは一枚のポスターを見せてくれた。

「こいつ知ってるか?」

首を横に振る僕に、ジェイクさんは重ねて言う。

「エディ・アイカウっていうんだ。こいつは“ウォーターマン”と呼ばれている。この言葉、聞いたことあるか?」

「‥‥いいえ」

「エディはサーファーであり、ハワイの英雄だ。そしてお前と同じライフガードでもある」

エディ・アイカウ。一九四六年、ハワイ・ワイメア生まれ。四〇フィート(一二メートル)の巨大な波を乗りこなし、「ビッグウェイバー」として世界に名を轟かしたサーファー。

またライフガードとして数多くの人命救助に貢献し、仲間から“ウォーターマン”の称号を贈られた男。

だが一九七八年、彼は海に消えたという。

「ホクレア号って知ってるか?」

「いや、知りません」。僕は何も知らない自分に少し恥ずかしくなりながらも、そう答えた。

「ハワイアンは自分たちのルーツを求めるため、自分らしさを求めるために、ホクレア号【写真】という伝統的なセーリングカヌーに乗って、タヒチからハワイへと航海した。かつて自分たちの祖先がそうしたように、地図を持たず、星と月と太陽だけを頼りにしてな。そして一九七八年、エディはその航海で命を落としたんだ」

航海の途中、エディらが乗ったホクレア号は暴風雨に遭い、マストが折れてしまった。モロカイ島とラナイ島のど真ん中で漂流し、死を待つしかない絶望的な状況下で、エディは仲間が止めるのも聞かず、サーフボートを片手に暗闇の海をパドリングで救助を求めに行ったという。

何時間も漂流したホクレア号は奇跡的にも通りかかった別の船に助けられ、乗組員は一命を取り留めた。だがエディはそのまま行方不明に。ただ一週間後、海面を漂うエディのボートが見つかっただけだったそうだ。

「ウォーターマンは称号であって、肩書きじゃない。『アイ・アム・ウォーターマン』なんて言うやつはニセ者だ。そしてハワイアンにとって強い人間とは、エディのような人間のことをいう。お前がモロカイでチャンピオンになったとして、エディと同じ状況で行けるか? 自分の命を犠牲にする覚悟で、暗闇の嵐の中を、他人の救助のために行けるか?」

「行けない‥‥と思います」

「でも、行ける奴、行った奴がいるんだ。それができるのがウォーターマンだ。誰もがウォーターマンの称号を与えられるのではない。そして誰もがウォーターマンを目指している」

ジェイクの話を聞き、頭を横殴りにされたような衝撃が走った。

今まで自分が求めてきた強さとは、一体何だったのだろう。

他人と競い合って一番になることは強さではない。

自分の内側から来る、本当の人間としての強さ。それがウォーターマンの強さだ。

ウォーターマンになりたい、ウォーターマンに近づきたいと思った。

◆サバニによる二〇〇〇キロ航海への挑戦

モロカイレースの魅力とウォーターマンの精神を日本に持ち帰り、普及させること。僕はそれを自分の使命だと感じた。

その第一歩として世界最高峰のアウトリガーカヌーレース“モロカイ・ホエ”に挑戦することを決意。日本で有志を募る活動を始めた。

すぐに選りすぐりのライフガードらが集結した。ハードなトレーニングを経てチームが結成され、ジェイクが「アウトリガーカヌークラブジャパン(OCCJ)」と命名。ついに日本人として初めて世界に挑戦するクラブが誕生したのだ。

一九九九年、モロカイ・ホエに参戦したOCCJは、周囲からの不安の声とはうらはらに、一〇五チーム中三七位という成績で見事完漕を果たす。日本人として初の快挙だった。地元ハワイは驚き、OCCJの名は世界に広がった。

翌二〇〇〇年、神奈川県・葉山を拠点に国内での普及活動を開始。それから僕らは、アウトリガーカヌーなどのパドル・スポーツを通して、現代人が失いかけている自然観を感じてもらう機会をつくり、ウォーターマンの文化と精神を日本に普及させる活動を続けてきた。

そして二〇〇二年、そんな僕に新たな転機が訪れた。「サバニ帆漕レース」である。

サバニとは沖縄の伝統的なセーリングカヌー(小型の帆かけ漁船)のこと。“海人”〔ウミンチュ〕と呼ばれる沖縄の漁師たちはサバニに乗って漁を行ない、海を自由に行き来した。

サバニ帆漕レースは二〇〇〇年の沖縄サミットを機に始められた、座間味~那覇間約三六キロメートルを最大一〇名乗りのサバニで疾走するレースである。

沖縄を訪れたのは、この時が初めてだった。

(こんなに海が綺麗なところが日本にもあったんだ、これはすごい場所だ)

僕は単純に沖縄の海に心打たれ、最初にハワイの海に出会ったときと同じように感激した。

そして座間味島の「慶良間海洋文化館(海洋館)」で、サバニを使って大きな鮫を揚げている漁師の写真を見た。

全身に電気が走った。

「ここにもウォーターマンがいた! 沖縄の海人は、まさに日本のウォーターマンだ!」

レース参加二年目の二〇〇三年、一年前初参加した僕らOCCJのメンバーはハワイからジェイク他、ブルース(ホクレア号キャプテン)を交え優勝を果たした。でも海人の存在を知った僕は、レースに優勝してもそれほどの満足感は得られなかった。

(大海原を自由に行き来し、海と共に生きた勇ましい古の海人にもっと近づきたい)

 そうした思いが日増しに強まっていたのだ。

ジェイクやナイノアにその強い思いを相談し、実現すべく企画したのが、「海人丸Expeditionサバニ帆漕航海2005」だった。沖縄・糸満港を出発して、奄美・種子島・宮崎・四国・紀伊を経て「愛・地球博」の会場近くの愛知県・内海海岸を目指す。総行距離二〇〇〇キロメートルにおよぶExpedition(冒険)だ。

かつて黒潮の流れに乗って大海原を渡った古代の海人たちの航海を再現し、優れた海洋民族が生まれた日本人の誇りと価値観を取り戻すこと。そして人と地球の健康を社会に訴え、人間の知恵と力を次世代へ継承する旅にすること。それがこのプロジェクトのテーマだった。

二〇〇四年夏、僕らは沖縄・糸満から宮崎県日向市の大堂津海岸までの約一〇〇〇キロメートルのテスト航海に挑んだ。さまざまな苦労の末、十九日間かけて見事ゴール。その時の経験や反省点を活かし、改造したサバニ「海人丸」で二〇〇五年夏の本番に挑むことになった。

海人丸は厳密には「)双胴型サバニ外洋航海カヌー」と呼べるもの。伝統的なサバニを二艘並べてつないだ双胴式にして外洋の大きなうねりにも耐えられる構造にした。またハワイのホクレア号[ 上野の国立科学博物館にて常設展示されている1/3ミニチュア版ホクレアの建造作業に携わることでその構造を深く学ぶことができた。]にならって大型の舵をとりつけた。

現在漁に使われているサバニのほとんどは、エンジンの付いた強化プラスチック製になっている。だが、海人丸は宮崎の飫肥杉を使った伝統的な木造舟だ。もちろんエンジンなど付いていない。風と潮、そして人力だけを頼りに、小さな木造サバニで海を渡った祖先の偉大な勇気と生きる力。それを学び、少しでも多く自分のものにしたいというのが僕の思いだった。

そして前半の糸満~宮崎の一〇〇〇キロメートルでは「スターナビゲーション航海」に挑戦することにした。海図やコンパス(方位磁針)、GPS(全地球測位システム)などの現代技術に頼らず、星や太陽、月の動きで方角を判断する、昔ながらの航海術だ。

正確に現在位置を知る手段、行く先を定める手段をすべて捨てた航海。これは、登山でいえば地図やコンパスを持たずに世界最高峰エベレストに挑むに等しい。読者の方にもっとピンときてもらうには、目をつむって、手探りや耳に入る音だけを頼りにマラソンを走るに似ているといえばいいだろうか。

自らの力と精神のみを頼りに大海原へ漕ぎ出した海人たちの帆漕技術を習得し、再現すること。これこそ、現代人が失ってしまった人間力=生きる力を回復させることにつながるはずだ。

この海人丸のプロジェクトには、多くの人から賛同と支援を頂いた。文部科学省や沖縄県・宮崎県・愛知県の後援。数多くの協力団体。カヌー建造資金・帆漕資金をカンパして下さった方々。生死をともにするクルーたちや伴走船のスタッフ。寄港地で僕らを待ちわびてくれる住民の皆様。そしてその他数え切れないほど多くのボランティアサポーターの人々。

海人丸の航海を通して、これほど多くの人との繋がりが生まれたのだ。人と人との繋がりこそがこのプロジェクトの何よりの成果であり、僕の喜びであった。

ウォーターマンを目指す冒険航海は、こうしてスタートした。